なんと中村とうようが亡くなった、しかも自殺とはなぁ・・・。
ここ最近の彼の文章は目にしていないが、中学生から大学生の頃、よくミュージックマガジンを読んだ。
ミュージックマガジン系といえば、確か今野雄二も自殺だったな。
ミュージシャンではなく音楽評論家の自殺、というのも不思議な感じがするけれど、やむない何らかの事情があるのだろうし、そこは突っ込まないようにしよう。
辛口で0点を付けることも多かったクロスレビューや、とうようずトークを楽しみに読んだ気がするな。
よく誌上でロッキング・オンの渋谷陽一と論争していたのも懐かしいが、評論という見方ならロックだけ一直線の渋谷とは違い、ワールドミュージックやジャズ、ブルース、ロック、クラシックなど一通り聴き倒したとうよう氏ならではの視点で、オレはどちらかと言えば「とうよう派」だった。
生理的に合わないものは評論というより吐き捨てるような書き口も案外痛快で好きだったし、何より知識の幅が違う。
当時のロッキング・オンは渋谷をはじめ増井、松村も含め全員が同じような文章を書いていて、つまらなかったように記憶している。全く別の事象から文章を書き始め、いつの間にか強引に本題に突入・結論というスタイルがロッキング・オンのスタイルだったが、マンネリ化していてすぐに飽きてしまった。
渋谷とは年齢の差も聴いている音楽も違うけれど、やはりとうよう氏の文章のほうが理路整然としていて、かつ主張のブレないしっかりとした評論だったように思う。
政治色も強かった彼の評論だけど、今となってはもうそれも読めなくなってしまった。
懐かしのクロスレビューで特に有名なもの↓
マイケル・ジャクソン スリラー 0点
’黒人のもっとも堕落し果てた姿を見せつけられた気がする。
今の黒人音楽をぼくがキライなのはこういう手合いがエバってるから。
1980年という時代にこんなにも安っぽい音楽が作られたことを後世の歴史家のための資料として永久保存しておくべきレコード’
・・・と辛口。当時スリラーをこんな風に書く人、他にいなかった。
とうよう氏に同情するのは、音楽評論家として避けられない事ではあるが、聴きたくもない新譜を毎月大量に聴かざるを得なかったことだ。
とうよう氏も言っていた通り、ある意味拷問に等しいとは思う。評論家も大変だよなぁと思っていたものだ。
それでも、自分の誌面に広告を載せているミュージシャンの新譜でも容赦なく斬る、そんな態度が好きだったな。
どんな事情か知りませんが、安らかに。合掌。
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